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サンサンコーナー

サスティナブルな社会を目指してⅣ

 最近スマホが大はやりで、道を歩きながらスマホ、自転車を運転しながらスマホ、電車に乗っているほとんどの人がスマホに見入っています。世の中全てがスマホ、スマホ、それ一色みたいな程、全国の人がみんなはまっていて、まるで歩くパソコンのようです。

 そしてその中から情報を取り出す、ゲームをする、辞書を繰る、地理情報を取り出す、GPSで自分の居場所を知る、山で遭難した場合等の位置情報を送る、痴呆で迷子になった人の位置情報を得る等…。世の中段々と便利になってきてスマホを離せなくなり冒頭のような仕儀になっているようです。

 しかし四六時中、スマホを離せないとは今の世の中おかしいと感じる人はいないのでしょうか?歩きながらのスマホ、自転車や自動車の運転をしながらのスマホは実に危ないと思うのは私だけでしょうか。いや、ほとんどの大人はその危険を察知しているのではないかと思います。しかしその大人と思われる人迄もスマホを離せなくなっている方が相当数見受けられるようになり、1億強の日本人が痴人のようになっているのを見るにつけ、日本はこれで大丈夫なのだろうかと心配になります。

 スマホなんてものは情報を仕入れるだけの手段にすぎません。その情報から何かを引き出し、人間関係を構築し、物造りをしていく一つの手段なのです。それがあたかも主流のようになって、今日本社会に氾濫しているのです。今の若い者は(私はこの言葉が大嫌いだったのですが)我が物顔でスマホを操作して、スマホをいじれない者は人間じゃない!ぐらいに思っているのではと心配です。

 一時的な風邪熱がついたようにスマホ熱に犯されているのかな?いつかは冷めるのかな?と見ていますが、当分の間は冷めそうにありません。それどころか益々エスカレートしそうな勢いです。私はこんな社会は永久に続くはずが無いと思っています。スマホは今の人間の生活に取り込んで、それをこれ見よがしに操作するのでは無く、生活本体に取り込んでしまって表に出なくなってこそ、生活の落ち着きが得られるのではないかと思っています。

 十数年前までは少なかった情報量が、今情報氾濫の時代に入り、その膨大な情報をどう処理するかという能力が、現代の人々に不足しているように感じます。

 例えば、1つの情報に10人の人が接したとすれば、個々の能力に応じて反応は多様になるため、情報解析が非常に重要となります。それによって国を、県を、市を経営し、会社を経営することこそが最も大切なことなのです。

 いみじくも台風19号が猛威を振るって甚大な被害を及ぼしました。しかし今度の19号のコースは長野、岐阜、新潟に多大な被害をもたらし、石川県は比較的被害を受けないコースであるという情報が入っていたにもかかわらず、長野に新幹線を駐機したことは、誤った判断だったと思います。情報をどれだけ得ても何の役にも立たないという具体的な見本です。その事で金沢はどれだけの損害を被ったでしょう。お菓子屋さん、料理屋さん、お土産屋さん等大変な被害でした。それがその情報の判断一つで左右されるのです。

 このような判断の誤りは、サスティナブルな社会建設には、磨きをかけなくてはいけない事ではないでしょうか?

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

サスティナブルな社会を目指してⅢ

 台風15号が千葉県に甚大な被害を残し、過ぎ去っていきました。この原稿を書いている今現在も通電できない世帯が数多くあり、普通の生活に戻るにはまだ相当の期日が必要と見られ元の生活に戻れない家も数多くありそうです。

 私達は今、スイッチを入れれば電気が点き、蛇口をひねれば水が出るという非常に便利な社会に生きています。

 しかし、この便利さは天然資源、特に石油資源の消費の上に成り立っているのです。

この天然資源は無限にある訳ではなく、有限なのです。

 この埋蔵量は200年持つとか300年持つとか言われているのですが、何年持つのでしょう。この石油が枯渇した時は一体どうなるのでしょう。考えただけでも寒くなります。

 今の生活がサスティナブル(持続可能)なのでしょうか?誰が考えても答えはあきらかではないでしょうか。

 それでは石油に替わる代替エネルギーが発見発明されるのでしょうか?今人類は必死に研究しているようですが、まだ有力な代替エネルギーは発明発見されていないようです。今電気があるじゃないかと言われますが、電気すらも天然資源の消費で賄われているのです。今の社会は大量の天然資源の消費の上に成り立っているのです。私たちの子供達、子孫の未来を犠牲にして、この快適な生活を謳歌しているのです。そしてこの生活に慣れ親しんでいる為に、その生活から離れられないのです。この生活が永遠に続くかのごとき錯覚に陥っているのです。今のこの生活がそのまま続くなんてありえないのです。

 今回の台風15号の惨禍はその事を私たちに奇しくも如実に教えてくれたのではないでしょうか?今の資源が枯渇した時の状態を、自然は私たちに教えてくれているのではないでしょうか。

 今私たちの生活はサスティナブルどころか、累卵の上にいるような危うさがあるのです。

 江戸時代の日本のように資源を無駄遣いせず、循環型の社会、人肥をも買い取り肥料にしていた、着物を着尽くして一切の無駄を省いていた社会、全て日本国内の資源のみの消費で循環している社会こそが今私たちに求められているのではないでしょうか。

 使い捨て社会は終わりにして、リサイクル社会こそがこれから求められる時代になります。

 資源を余すことなく使い切る、色々な物は余剰を出さず、使い切ることこそが資源を大切にすることに繋がるのかもしれません。

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

サスティナブルな社会を目指してⅡ

 私達人間はサスティナブル(持続可能)な生物なのでしょうか。日本人の平均寿命は80歳をはるかに超えて、世界の最長寿国となっています。今私達は永遠に生き続けるがごとき勢いで、死というものに対して一切気にしてないようです。いつまでも生き続けられるかのように生活し、死を前提に人生設計をされている方はいないと思えるぐらい皆安穏と生活しています。

 最近の70代の人のサプリメントの摂取量は世界一だそうです。いつまで生きようとしているのでしょう。

 今や日本は超少子高齢化社会に突入しており、2042年に高齢者が最高に達し、それから段々と人口減は始まり、50年後くらいには、日本の市町村の約半分が消滅するのではといわれています。という事は日本沈没ならぬ、日本消滅ではないかと危惧されます。

 つまり今緻密に張り巡らされている組織、法律等の社会システムが完全に機能しなくなるという事なのです。今は土地の所有権がほぼ日本人に登記されていますが、人がいなくなり市町村が消滅すれば、その地に外国の人が勝手に移住して来て、勝手に住み、勝手に使い出したらどうなるのだろう。全然戦争によって国を取る必要が無く、勝手気ままに日本人の誰もいなくなった土地に自分の家を建て居住するという状況が現出するかもしれません。

 そう考えると、日本の社会はサスティナブルな社会と言えるのでしょうか。せっせと財産を築いても、預金をたくさんしても、50年後に何の価値もなくなるのであれば無駄な努力であったのでしょうか?

 やはりこれは、政治の問題だと思います。

小松市のような人口11万人ぐらいの市はもろに影響を受けます。こんな時何の手も打たず傍観していていいのでしょうか?

 市街化区域と市街化調整区域等と制限を加えている価値があるのでしょうか?効果があるのでしょうか? 

 まず、政治に求められているのは地域の活性化、働き場所の提供、人口の増加・・・

 いかに人々が住み良い、住みやすい地域を作り上げていくかを、官民一致協力して築き上げていく必要が求められていると思います。

 小松市がサスティナブルな社会を目指すには魅力的な人々が魅力的な町を、いかに造るかにかかっていると思います。

 今からでも遅くない、すぐ取り掛かりましょう。

 でも何から取り掛かったらいいのか、具体的な案がなければ、サスティナブル委員会でも立ち上げて、一人ではなく皆で一生懸命考えて行動しなければいけないと思います。

 頑張りましょう!

不動産遊民

都市研究家 調 亮

サスティナブルな社会を目指して

 最近『SDGs(Sustainable Development Goals持続可能な開発目標)』という言葉をよく目にされるかと思います。

 サスティナブルとは「持続可能な」という意味です。では持続可能とはどういう意味だろうと皆さん疑問に思われることと思います。そうすると今の社会は持続可能な社会ではないのでしょうか?はい、ないのです。いやないと思われる社会なのです。

 まず、今の社会、超大型の消費社会なのです。

 例えば燃料ですが、昔は薪を燃やして暖をとっていました。それが山の森を破壊してはげ山を量産しました。その後石炭がそれに替わりました。石炭が出て来なければ世界中の森林が破壊されていたことでしょう。古代の中国は鬱蒼とした森林の国だったらしいのですが、今やほとんど森林らしきものも無く、黄砂が舞う埃っぽい国となっています。その上経済を重視してきた為、どんどん石炭を消費しPm2.5等の工場排煙の国となっています。

 その次に石炭に替わって石油エネルギーが使われるようになり、世界中でガソリン車が走り回り、排ガスにより炭酸ガス濃度が上がり、地球の温暖化が始まり、海面が上昇し、このままいったらベネチアのような海岸都市が10年後に海洋に沈んでしまうのではないかと危惧されています。

 私は先日ベネチアへ行ってまいりました。

今では地盤沈下と海面の上昇により危機的な状況にあるのを目の当たりにして、この人間の知と汗と努力の結晶によってできたこの街が海没するとは?と他人事ではありませんでした。

 今や炭酸ガス濃度が増えた為、地球的な規模で異常気象となり、雨が異常に降ったり、台風が大型となり、各地に大被害を起こさせているようです。

 私の子供の頃、冬は毎年60㎝程雪が降り積もり、夏は夕立が毎日のようにありました。今はほとんど雪が降らなくなり、降るとドカッと降り、夏は異常に高温となり、40度を超える日が続いたり、梅雨が無かったり、異常な長雨が続いたりと、非常に住みにくい気候となってきています。

 この異変の原因がこの私達人間の消費生活にあるとしたら、私達人間は早く生活態度を改めねばならないでしょう。しかし世界的に見て、経済を優先させている限りは、サスティナブル・持続することは無理ではないかという事は私でも理解できることなのに、アメリカを筆頭とする政治家たちは何を考えているのか?未だに経済!経済!と叫んでおり、一般国民はその甘言に乗せられて支持しているようです。

 今は持続が可能な社会の構築こそがとりあえず成すべき事で、隣近所とケンカしたり、ケンカする武器を作らねばならないとは、何を考えているのでしょう。

 私達はもっともっと真摯に、今が良ければいいという短絡的な考えではなく、Sustainable持続可能な社会を構築する事が必要だと思います。その為にいかにすべきか常に考え、行動していかねばなりません。

 自分さえ良ければいい、自分さえ儲ければ良いという我儘な考えを捨てていかねばならないと思います。

 頑張りましょう!!

不動産遊民

都市研究家 調 亮

街づくりPART6

 温帯低気圧が台風に変わり各地で大雨が降り水害の情報が飛び交う中、我が小松も雨が降っている、そんな中で今この原稿を書いています。

 自然の災害に対して我々は都市計画のみで対抗できるのか?人間と自然との闘いで人間が自然に勝てるのか?これは都市計画に対する大いなる疑問です。

 私たちは近年まで自然と戦う姿勢より、自然に従う中でいかに自然を大切にし、その中で人間がどう生きていくかというのが、私たちの生き方であり、都市計画であったと思います。

 それまでは昔からの町や村は災害を通して比較的安全な所に立地されていて、ここまでは津波が来た石碑が立って、××年○月△日にここまで来たという記録が残されて、それより高地は比較的安全であるというのです。

 又地震の活断層は歴史的にみて長い年月の経験を活かした言い伝えで、この場所は比較的安全だと言われていて、うまくその活断層を避けているみたいです。

 しかし現代ではそんな石碑とか言い伝えなんかは全く無視して開発をしているようです。

 また現状を見て誰が見ても崖崩れが起きると予想できる場所でも構わず宅地開発をしているようです。

 近頃地球の環境に大いなる変化、例えば温暖化等により自然は大きく荒れ狂い、益々災害が大型化してきている現状です。今までのような都市計画でよいのでしょうか?

今のところ小松市は比較的地震災害も、雨災害も少なく、まだ歴史的にみても少ないようです。

 災害を人工的に避けるには莫大な費用がかかり、国家予算をも破綻させる規模になっており、やはり安全な地域を開発するのが最善策のようです。

 今行政はハザードマップを作り住民に危険度を認知せしめています。今更という感じが否めません。このハザードマップなるものが当初から都市計画に含まれていれば、そんなところに誰も家を作らなかったとか、今頃になってなんだ、というのが住民の正直な思いみたいですね。そのハザードマップの中にいる人達は一体どうすればよいのでしょう。どう対処すればいいのでしょう。その怒りをどこにぶつければいいのでしょう。

 全く困ったものです。

 転ばぬ先の杖こそが、今必要かもしれません。

不動産遊民

都市研究家 調 亮

街づくりPART5

 私の生まれ故郷小松市は、非常に自然に恵まれ、市地の6割~7割が緑でおおわれ、とても空気がきれいでおいしいです。

 その上白山の恵みで台風とかの進路が微妙にそれ風の影響が受けにくく、雨も九州四国地方で降り小松に雨雲が着く頃には適度な量となり、極端な雨がほとんど降らず雨水災害もいつも避けられています。

 これも全て白山の麓で恵まれた環境を享受しています。この自然のおかげで小松人はのんびりしていて、隣近所の融和がとてもよく、穏やかです。

 梯川が市街地の真ん中を悠々と流れてその恵みで農作物も米を筆頭に種々の野菜類等も豊かに稔り、私の家等の食卓はほとんど近所の方からもらう野菜で食料自給率80%といっても過言でないくらい?に感じられる豊かさです。その上海も近く魚介類も豊富です。特に青み魚のアジ、サバ等の下級と思われる魚が豊富で、私はそんな魚が大好きです。いつもおいしくいただいています。

 また水も綺麗で生酒の生産も盛んでおいしいお酒も堪能しています。あまり飲み過ぎてはいけませんが、野口、手取川等のお酒もおいしくつい飲みすぎるくらいです。空気・水・食べ物がおいしいということは最高の幸せです。

 働き場所として小松製作所(コマツ)があり、世界のコマツと名を馳せています。今はその下請け等含めコマツ関連のすそ野は広く、優れた鉄工技術は積み重ねられ、高水準を維持しているようです。

 しかし最近の状況は少子高齢化の波をもろにかぶり、人手不足で外国からの応援部隊が多く小松に住むようになっているようです。

でもこのように外国人にばかり頼っていいのでしょうか。人手不足、人材不足がもろにこれから響いてくるのではないかと心配です。何の手も打たずにこのまま過ごしていると将来的にはコマツも撤退という事態が来ないとも限りません。これは大変なことです。やはり人手不足、人材不足に対する対策を大至急にしなければいけないと思います。人に対する対処はすぐに実行しても効果が現れるとは

限らず、長い年月をかけて居住環境を整えて住みやすい場所造りこそ大切です。又、人材の確保は一番難しく、人材育成・教育がとても必要であるにもかかわらず、何の手も打たれていないのが実状です。

 この教育はとてもすぐ効果が出てくるというものではなく、長い年月をかけて市民が育て上げることが必要です。市民レベルを上げる、文化レベルを上げるのが早急に必要です。

 人材の育成は現状維持では劣化の促進となり、毎日の努力、尽力することで維持できるというもので、油断するとすぐ劣化してしまいます。ということでこのままではジリ貧になっていきます。

 今小松は大変に恵まれています。でもこれに安住しているとアッという間に墓穴を掘るということになりかねません。

 すぐに住みやすい住居、働きやすい工場、そして市民の文化レベルの向上に向かって対策しなければなりません。

 すぐ対策を! 

           不動産遊民

都市研究家 調 亮

街づくり Part4

 かしがましい地方選挙も終り、宣伝カーで候補者の名前を連呼するだけ、住み良い小松をつくるという、何の具体的な政策の提示もなく、ただお願いしますの繰り返し、どなたも一様の騒々しいばかりの…でした。

 私はやはり政策というのは、具体的に示さないと市民は解らないと思います。小さな事でもより具体的に示すべきだと思います。

 例えば、私は小松が大好きです。LOVE小松です。この小松で生まれ育ち暮らして良かった、この小松を終の棲家としたい、ここで死んでも良い、他地域に住んでいる人を、「この小松にいらっしゃい」と誘い込める魅力を生むことが求められると思います。

 今、この小松に具体的にそんな魅力があるのでしょうか。私はこの地に住みながら、まず棲み家を作りたい。いかに居住環境を整えてあるかと言うと、本当に稚拙な都市計画によって家を建てる場所が少なく、実に困りものです。

 人に来て下さい、来て下さいと言いながら住む場所が無い、という現状です。その上、その人達が働く場所が無いのです。まず工場を建てようとしても、その工場用地すら少なくて、誘致できません。

 企業を誘致する、企業を育てるという風土が無く、事業意欲が育つような人材の育成を対策しているかといえば、何の手だても感じられません。よしんば企業を誘っても、企業を建てられる場所がありません。国道8号線の沿線は、市街化調整区域でほとんど開発ができないのです。何の為の規制か、人を呼び込もうとする活動とは全く反対の活動、いや邪魔しているようにすら感じられるのは私だけでしょうか。

 今は他の地域から人々が集まるような、そんな施策が求められるのに、何ら具体的な提案が無かったのは寂しい限りです。小さい事でも良いのです。より具体的に身を粉にして活動できる事こそ、議員になられた方は実際に活動して下さればと願っております。

 私達は、小松の街づくりに理念を持って心を一つにして、活動すべきだと思います。

その理念は小松市民みんなで考え、そして作成すべきです。そして、その理念に向って小松市民が心を合わせての街づくりこそが、今求められているのです。

 私の具体的理念、例えば「他の地域の方、いらっしゃい、いらっしゃい!!」この理念に向かって、具体的に活動するのも一興です。まず、一人一人が、具体的に街づくりに取り組みましょう。新しく議員になられた方々の活躍を期待します。今こそ、本格的に街づくりに取り組まないと手遅れになってしまいそうで恐いですね。

不動産遊民

都市研究家  調 亮

新幹線について

 今、小松の街中をグロテスクな宇宙の基地造りのようなコンクリートの壁が建ち並び始めています。そうです。北陸新幹線の工事です。

 私の住む梅田町は無残にも町のど真ん中を分断して、コンクリートのルートが建造されています。なんというグロテスクさ、デリカシーのかけらもありません。今まで平穏で静かであった町を騒音を立てて、新幹線が走り抜けることになりそうです。何十年も先の事だと楽観していたのですが、もう直近の事となってきました。

 さて、この新幹線のことについてじっくり振り返ってみようと思います。

 今、金沢東京間は実に近くなり便利になって、その効果は絶大なものがあったと、またこれからもあり続けると思われます。

 しかし、金沢から大阪への効果となるとどうでしょうか?これは金沢・東京間と違い、そう単純ではないと思います。

 まず、小松大阪間の時間は短縮されるのでしょうか?現在のサンダーバード等の在来線と比較して便利になるのでしょうか?

 私は非常に疑問に思っています。便利になるというメリットが北陸新幹線唯一無二のメリットで他に何もないというのが現状だと思うのですが、そのメリットは本当にあるのでしょうか。無いということになれば我々にとって何の為の新幹線なのでしょう。立ち退きに直接かかった住民はまだしも、その近隣の住民はこれから騒音に悩まされ、グロテスクな建造物を見続けなければならないと思うとぞっとします。その近隣の人にこそ保障が必要だと思いますが、世の中あべこべで何の保障もないというのが現状みたいです。

 今、新幹線は景気対策ということでかなり先行して進んでいます。小松地区は後3年程すると完成してしまうのではないかと心配です。小松の町は新幹線効果でしょうか、アパートもいっぱい、住居もいっぱい、街中も活性化しているようにみえます。

 でもこれも後3年の命ということになれば、その後はどうなるのか、非常に心配です。

でも今の政府の景気対策は根本的な対策ではないので、短期の小手先感は否めないと思います。これが終わった後の小松の景気ははたしてどうなるのでしょう。心配です。

 そんなこと心配してもしゃあねーやろという楽観的な方も多いと思います。

 今この静かな綺麗な日本の国土を破壊して景気対策をしているこの政府はいったいどうなっているんでしょう。一度私たちの街を実際に見にいらっしゃい。どう感じるか感想を聞かせてほしいものです。そしてそれが完成し、全線開通した時に小松駅にだけ停車するということはあり得ないでしょうね。まさか全駅に停車するのでは?各地域が頑張れば、地域運動すればする程各駅停車になる可能性が必ず出てくると思います。本当に小松市が一丸となっての新幹線誘致運動なんて必要だったのか、みんな何故賛成するのかすら私には今だに疑問なのです。

 最近は理解に苦しむことが多すぎて、どのニュースを信じていいかすら解らなくなっています。もっと単純な解り易い政治を。その為にも嘘の無い政治を。国会を。統計を!!

不動産遊民

都市研究家 調 亮

街づくり Part3

 前号に載せました縁石の話は非常に反響が大きく、賛否両論いろいろでした。まずは縁石と無電柱化を同時に推進賛成派でした。かたや全くの無電柱化反対派は一人もいませんでした。残りは全員あんなもんいらんよ、必要ないよと全くの反対でした。

 ここでいよいよ民主主義の本領が発揮されます。まず縁石必要派のメリットは、舗道を歩く人の車に対する接触事故が無くなるとの事です。しかし、元々この何十年ほとんど事故らしい事故なんてなかったのですから、これからもほとんど無いだろうと予測されます。逆に道が狭くなることによるたまたまの事故が発生するかもしれません。今までほとんど事故は起きていない訳ですから改善する必要なんて無い訳です。もしあるとすれば、他の地域もすぐにする必要が生じ、放っておけなくなるはずなのですが、さし当って今のところはそんな予定はないということなのです。何の問題も発生していない所を改善というか改悪ということを大予算をかけてしようとしています。

 縁石設置反対派の意見としては、まさに縁石をつけることによって生活がしにくくなるというのです。前号の繰り返しになりますが、自分の車の出し入れが具体的に本当にしにくくなります。極端な話、縁石による事故さえ起きかねません。又、家の建て替えの場合、その縁石の付け替えを役所にいちいち申請して許可を得なければなりません。道路が狭くなるので、チョット停車して用事を済ますという普通の市民生活が非常にしにくくなります。その上車が車道を占めてしまい、追い越ししにくくなります。常に対抗車線に出なければならなくなるのです。道路によって街が分断されるように感じるのは私だけでしょうか。車道と舗道によって前方道路が分断化されます。

 将来の災いを予防するため、その対応策を予算を持ってするというのが行政だと思われますが、単にこれまで行われてきたからという前例至上主義といいますか、何も考えないで、改善を加えないで、強行することが民主主義といえるのでしょうか?

 今や街づくりは市民が携わっていかねばなりません。その市民がなおざりにされてマニュアルだけ、それも市民の意見を聞くという、当然すべきことすらしないで、それをやるというのはどうなんでしょう?図面の段階では消しゴムで消せばいいのです。

 でも、一度施工されると莫大な費用がかかります。その上街が良くなるのなら良いのですが、使いにくくなるなんて絶対ダメでしょう。無駄はやめましょう。

 今の市民の声は・・・。民主主義を機能させましょう。

 こうやって検証すると縁石支持論は何のメリットもなく、マニュアルがあるというだけみたいですね。

後の生活は大変ですぞー!

不動産遊民

都市研究家  調 亮

街づくり PART2

 以前もこのコーナーで取り上げたことがあり、その時も非常に大きな反響があった事を覚えています。今回も街の住民から是非取り上げてほしいという要望に応えて再度取り上げてみたいと思います。

 歩道の縁石、特に街中の歩道の縁石の件です。今や街づくりが華やかで、龍助町が莫大な予算をかけて、通りの無電柱化に取り組んでいます。それと同時に歩道を区切り、縁石を取り付けるということなのです。この事について私は再三にわたって街を壊すということで反対をしてきております。

 その差は、私の会社の前の通りと市役所正面の通りを比較すれば一目瞭然なのです。小松市民なら一度見られて比較して下さい。私の会社の前の通りは一切縁石がありません。そのおかげで駐車がスムーズ、縁石に乗り上げることもなく、車を傷めることもありません。その上行政が心配している交通事故はここ何十年一切起きていません。これから起こる事があるかもしれませんが、それは縁石が有る無しにほとんど関係が無いと思われます。

 行政は有るか無いかわからない歩行者が事故に巻き込まれるというリスクを盾に強硬に縁石を取り付けようとしているようです。私はこの街中、特に龍助町の通りに歩道の縁石は必要ないと思います。否、つけてはいけないと思います。それは何故かと言いますと、まず縁石によって人の出入り、車の出入りがしにくくなり、家の建て替えをしたりすると途端に縁石切り下げ工事をしなければならなくなります。その上車道が狭くなり駐停車しにくく、街中でちょっと車を停めて用事をする、これができにくくなりとても不便です。車が駐車すると今の状況より縁石の分道幅が狭いので、後続車がいちいち止まらなければならなくなり、車の流れが悪くなります。工事費がかかり、道路の景観が壊れ非常に醜くなり、使い勝手も非常に悪くなる。また縁石がある道路を走る車は幾分スピードアップしているように見受けられます。その事により安全に道路横断がしにくくなり、街が道路で遮断されているように感じます。

 今行政は歩行者にもしもの事が無いように縁石をつけると主張しているらしいですが、この何十年来何の事故もなかったこの状況より悪くなるのでしょうか?それなら他の地域も全部縁石をつける必要があるのですが、他の地域はほったらかしというのはどういうことなのでしょうか?

 305号線とか大型の郊外の道路には縁石は必要だと思いますが、街中の歩道の縁石は一切必要なく、逆につけてはいけないと思っています。これは龍助町だけの問題ではなく、小松市民全体の問題ではないかと思います。ぜひ全体で議論して下さるようお願いします。地元の市議の先生方、是非市民の声を取り上げ、せっかくの街づくりを愚策によって台無しにしないよう、無駄な経費を極力使わないで効果のある街づくりをお願いします。

 工事をしますとこの先何十年もの長き間、住民を苦しめることになるのですから!

不動産遊民          

都市研究家 調しらべ 亮わたる

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