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サンサンコーナー

街づくり Part3

 前号に載せました縁石の話は非常に反響が大きく、賛否両論いろいろでした。まずは縁石と無電柱化を同時に推進賛成派でした。かたや全くの無電柱化反対派は一人もいませんでした。残りは全員あんなもんいらんよ、必要ないよと全くの反対でした。

 ここでいよいよ民主主義の本領が発揮されます。まず縁石必要派のメリットは、舗道を歩く人の車に対する接触事故が無くなるとの事です。しかし、元々この何十年ほとんど事故らしい事故なんてなかったのですから、これからもほとんど無いだろうと予測されます。逆に道が狭くなることによるたまたまの事故が発生するかもしれません。今までほとんど事故は起きていない訳ですから改善する必要なんて無い訳です。もしあるとすれば、他の地域もすぐにする必要が生じ、放っておけなくなるはずなのですが、さし当って今のところはそんな予定はないということなのです。何の問題も発生していない所を改善というか改悪ということを大予算をかけてしようとしています。

 縁石設置反対派の意見としては、まさに縁石をつけることによって生活がしにくくなるというのです。前号の繰り返しになりますが、自分の車の出し入れが具体的に本当にしにくくなります。極端な話、縁石による事故さえ起きかねません。又、家の建て替えの場合、その縁石の付け替えを役所にいちいち申請して許可を得なければなりません。道路が狭くなるので、チョット停車して用事を済ますという普通の市民生活が非常にしにくくなります。その上車が車道を占めてしまい、追い越ししにくくなります。常に対抗車線に出なければならなくなるのです。道路によって街が分断されるように感じるのは私だけでしょうか。車道と舗道によって前方道路が分断化されます。

 将来の災いを予防するため、その対応策を予算を持ってするというのが行政だと思われますが、単にこれまで行われてきたからという前例至上主義といいますか、何も考えないで、改善を加えないで、強行することが民主主義といえるのでしょうか?

 今や街づくりは市民が携わっていかねばなりません。その市民がなおざりにされてマニュアルだけ、それも市民の意見を聞くという、当然すべきことすらしないで、それをやるというのはどうなんでしょう?図面の段階では消しゴムで消せばいいのです。

 でも、一度施工されると莫大な費用がかかります。その上街が良くなるのなら良いのですが、使いにくくなるなんて絶対ダメでしょう。無駄はやめましょう。

 今の市民の声は・・・。民主主義を機能させましょう。

 こうやって検証すると縁石支持論は何のメリットもなく、マニュアルがあるというだけみたいですね。

後の生活は大変ですぞー!

不動産遊民

都市研究家  調 亮

街づくり PART2

 以前もこのコーナーで取り上げたことがあり、その時も非常に大きな反響があった事を覚えています。今回も街の住民から是非取り上げてほしいという要望に応えて再度取り上げてみたいと思います。

 歩道の縁石、特に街中の歩道の縁石の件です。今や街づくりが華やかで、龍助町が莫大な予算をかけて、通りの無電柱化に取り組んでいます。それと同時に歩道を区切り、縁石を取り付けるということなのです。この事について私は再三にわたって街を壊すということで反対をしてきております。

 その差は、私の会社の前の通りと市役所正面の通りを比較すれば一目瞭然なのです。小松市民なら一度見られて比較して下さい。私の会社の前の通りは一切縁石がありません。そのおかげで駐車がスムーズ、縁石に乗り上げることもなく、車を傷めることもありません。その上行政が心配している交通事故はここ何十年一切起きていません。これから起こる事があるかもしれませんが、それは縁石が有る無しにほとんど関係が無いと思われます。

 行政は有るか無いかわからない歩行者が事故に巻き込まれるというリスクを盾に強硬に縁石を取り付けようとしているようです。私はこの街中、特に龍助町の通りに歩道の縁石は必要ないと思います。否、つけてはいけないと思います。それは何故かと言いますと、まず縁石によって人の出入り、車の出入りがしにくくなり、家の建て替えをしたりすると途端に縁石切り下げ工事をしなければならなくなります。その上車道が狭くなり駐停車しにくく、街中でちょっと車を停めて用事をする、これができにくくなりとても不便です。車が駐車すると今の状況より縁石の分道幅が狭いので、後続車がいちいち止まらなければならなくなり、車の流れが悪くなります。工事費がかかり、道路の景観が壊れ非常に醜くなり、使い勝手も非常に悪くなる。また縁石がある道路を走る車は幾分スピードアップしているように見受けられます。その事により安全に道路横断がしにくくなり、街が道路で遮断されているように感じます。

 今行政は歩行者にもしもの事が無いように縁石をつけると主張しているらしいですが、この何十年来何の事故もなかったこの状況より悪くなるのでしょうか?それなら他の地域も全部縁石をつける必要があるのですが、他の地域はほったらかしというのはどういうことなのでしょうか?

 305号線とか大型の郊外の道路には縁石は必要だと思いますが、街中の歩道の縁石は一切必要なく、逆につけてはいけないと思っています。これは龍助町だけの問題ではなく、小松市民全体の問題ではないかと思います。ぜひ全体で議論して下さるようお願いします。地元の市議の先生方、是非市民の声を取り上げ、せっかくの街づくりを愚策によって台無しにしないよう、無駄な経費を極力使わないで効果のある街づくりをお願いします。

 工事をしますとこの先何十年もの長き間、住民を苦しめることになるのですから!

不動産遊民          

都市研究家 調しらべ 亮わたる

明けましておめでとうございます

戌年が去り、私にとっては人生再出発の始まりです。

これからは経験を生かして人生を楽しみたいと思います。

世の中何が起こるか、どうなるのか未知数の事ばかりです。 

楽しみでわくわくしています。

世界は広い、人は多くてそれぞれの人生が交錯しています。

今年は亥年、猪突猛進頑張りましょう!

世界の景気はアメリカ、ヨーロッパを筆頭に落ち込む兆しを見せています。

我が日本は無謀な消費税を上げ、小手先のポイント制でどうなるのやら・・・?

今の日本の政治ではドン底に落ち込んでもしょうがないでしょう。

一度落ち込まないと気付かないのですから。

そんなドン底に対してどう対処するか、楽しみな局面に今年は入ると思われます。

心していきましょう。

本年もご愛顧の程 宜しくお願い申し上げます

 

2019年 正月

代表 清水 亮一

不動産のお話し

 私の干支である戌年もいよいよ残り一ヶ月、師走の月となりました。何かと慌ただしい年でしたが、丁度72周目も過ぎようとしています。

 振り返ってみますと本当に良い時代(昭和・平成)を過ごさせて戴きました。

 それはまず何よりも平和であったということです。

 私たちは何気なく過ごしていますが、この平和ということは本当に大切なことで不動産が価値を持つのも平和なればこそです。

 内戦なんかがあるシリアを例にとってもお分かりのように、砲撃された町並みはもう誰も住めなくなり、古い町並みにすらも住めなくなり、人々は難民になってしまいます。

 不動産というものの実態は平和により人と人との繋がりによって成立しているといっても過言ではないと思います。

 東京のように人が集中する場所にこそ価値が出来るということで、本当に平和で良い時代を過ごせたと思います。

 また、経済も人口増加により右肩上がりの時代で、努力さえすればそれに報われて収入も増え、地位も上がっていくという具合に非常におおらかな時代でした。

また技術力もすぐれていて、中国・韓国等に輸出し経済的に繁栄していました。

 今は中国・韓国に比べ技術的に劣り、段々と日本の国力が衰えつつあります。今後は日本経済自身が縮小し、これからの若者は苦労するだろうなと取り越し苦労かもしれませんが心配です。

 そういう意味においても我々は本当に良い時代を過ごさせて戴いたと思います。

 今や世界はグローバル化の時代を迎え、これからの世界の舵取りは非常に難しい時代を迎えると思います。そんな中では、政治が高等な判断をしなければならないと思います。しかし、そんな能力を磨いているのでしょうか。

 今の日本の若い人たちは平和・豊かさの中で生まれ育ち、研ぎ澄まされた学びをおろそかにしています。海外に学ぶということをしていない、また海外に出ていかない、行けない日本の若者が実に多くなって嘆かわしい限りです。

 アメリカのハーバード大学や、コロンビア大学に遊びに行った時に、中国・韓国の人の卒業生が実に多いのに比べ、日本人の卒業生が実に少なくなってきている現実を見、このグローバル化の時代に日本人は活躍していけるのか心配になりました。

 私たちは島国の中で自分たちの生き様を示してこれた事は実に幸せでした。

 この続きは次回にまわしたいと思います。

企業誘致を町づくりに!

 今回は空き家対策が必要だということの続きを書く予定でしたが、台風24号で感じたことがありますので、中に挟みたいと思います。

 今年は異常気象の為か台風が大変多い年でした。そして台風は私達の若い頃と比べて非常に大型で、風力も強く、甚大な被害を各地にもたらしました。その爪痕は今も残り各地被災地域の人々はその復興に励んでいるところです。

 そういう中で台風24号が石川県を直撃すると言われていましたが、ちょっと南の方にそれて小松市はほとんど台風の影響を受けることはありませんでした。その進路を見て私は石川県の被害は比較的少ないと確信いたしました。長年の経験でこの進路はいつも直撃なのですが、風の影響は白山の向こう側、岐阜県、長野県の方に流れ、ほとんど石川県に影響がないのです。

 雨は常に九州、四国中国地方に落としてしまい、いつも石川県は雨が比較的少ないという状況が常なのです。

 なんという幸運の、いや他の地域の人には申し訳ないのですが、本当に被害が少なく済むので、何故なのでしょうと振り返ってみるとそれは毎日私たちが拝み見る白山のおかげなのではないかと思われるのです。

 この白山が加賀地区の安全を守り続けているのではないかと思われるのです。

 白山に降る雨は手取川となって加賀平野に豊かな実りをもたらすと共に住民に台風の被害を最小にとどめてくれているのです。

 その上、地震の被害も非常に少なく隣県の福井県は非常に大きな福井地震がありましたが、当地では今のところさしあたって大きな地震にも見舞われていません。しかしこの地震というのは我々の人間の生命サイクルではなく、地球という生命体の長い活動の中で起きているので、これから起きる可能性は無い訳ではありません。

 長い歴史を振り返ってみても、京都・大阪そして東京、東北、北海道等の太平洋側は常に巨大な地震に見舞われています。そして太平洋という満々たる水量は地震によって津波となって太平洋岸に押し寄せています。

 過去に津波がここまで来たという目印が各地に残っているそうですが、日本海側ではほとんど海岸線の間近にあるくらいです。これは日本海が浅くせいぜい150mくらいの水深ではよほどの巨大地震が起きない限り、たいした津波にはならないということなのでしょうか。

 こうして考えてくると石川という地はなんと災害の少ない地域なのでしょう。

 この災害の少ない地域に日本の人は皆居住の地を構えられたらいかがでしょう。工場の設置を一考されるべきだと私は思います。

 私達石川人はそれを念頭に町づくり・都市づくりをすべきではないかと思います。

 すぐやりましょう!白山に感謝!!

不動産遊民

都市研究家 調亮

不動産のお話しPartⅨ

 不動産のお話しというのは生活産業といいますか、生活が根本にあるばかりにキリがない程あるように思います。今不動産は産業、経済と大きく結びついています。

 人口が右肩上がりで伸びている時は経済も拡大の一途を辿りました。しかし少子高齢化時代に突入した今、あらゆる経済の縮小化が進んでいると思います。

 その中で特に不動産が影響を受けるのではないでしょうか?

 ベビーブームで急激に人口が増加し、建てた住居がどんどん余り出し、各町に空き家が続出し今や地域の社会問題となりつつあります。

 都会に仕事を求めて行った人達はほとんどがそのまま都会に住みつき、誰も戻って来ない。他に跡継ぎがいる場合はそれで良いのですが、親世代だけが残った家はやがて老人の家となり、その老人が亡くなると、結局空き家になってしまうのです。

 この空き家、今全国に800万戸とか1000万戸とか言われています。この空き家問題が非常に深刻で、そこに住んでいなければ家の管理は行き届きません。特に火災・盗難等安全が確保しにくく、空き家が付近の子供達のたまり場になったり、野鳥や小動物の巣になったりしています。又空き家が古くなると倒壊の恐れがあり、隣近所への安全上大変な問題となっていきます。

 それでも空き家が比較的新しい場合は、貸家にして家賃収入が入るように、最近は不動産経営に参加されるサラリーマンの方も増えているようで、社会の変化に対応しています。

 でも、その貸家が古くなってしまうと最悪で、いずれその空き家を壊さねばならなくなる時がきます。最近はその解体費用がばかにならず、非常に高くつきます。特に街中で連棟式の場合は単独で壊しづらく、隣家の補修費も含めると極端な話、解体費用がその土地代金を上回る可能性もあり、金銭的な理由でほったらかしとなる場合もあります。これはこれからの大問題になると思います。

今私の土地の隣がそうで、外壁が私の敷地側に倒れて非常に危険です。持ち主からはタダでもいいから引き取ってもらえないかと申し出がありますが、タダでもらっても採算が合わなく、誰も引き取り手が無くほったらかしです。

しかしここから問題はもっと大きくなります。それは持ち主、登記権利者がお亡くなりになると、誰もその物件(空き家)をさわれなくなります。そうなるともう放っておくよりしようがなく、家は壊れるに任せ台風大雨なんかが来るともう大変で、家が飛んで歩くというように危険な空き家が街中を壊し始めます。

そしてこれは行政も、法律を改正しないとどうしようもなくなります。もう喫緊の問題であるにも関わらず、なんの対策もしていないのが現状です。この問題については次回話したいと思います。

不動産遊民

都市研究家 調亮

不動産のお話 No.Ⅷ

 前回、これからの町づくりは、行政と民間が一体化してやっていかなければならないというお話をしました。これからの町づくりでは、これが一番必要であろうと思われます。しかし、この官民一体というのがなかなかうまく機能しないというのが世の中の動向のようです。

 うまくいかない原因は何かといいますと、町づくりの具体的なアイディアが非常に少ない事だと思われます。今、老若男女を交えて色々な立場を乗り越え、意見を交換しその方針をまとめ上げていく事が必要です。そして、決まった事、決めた事は必ず実行するアクティブ(行動)が必要だと思います。

そういう意味で小松では草の根的活動が有効ではないかと思われます。そういう活動を始めますと、まず補助金がどれくらい貰えるんかな、から始めたくなります。しかしこの補助金から始まりますと、だいたいが失敗というのが実情ではないかと思われます。

 それは身銭を切ってでも自分の小松への思い、夢の実現をしようという強い思いが欠けているからではないかと思います。逆にまた夢のような大きな話で、実現性が全然ない架空の絵空事を現実の町づくりとして捉えようとする傾向があるように感じられます。

 私たちは今この小松に具体的にどう関与していくか?この社会にどう貢献していくか常に考えなければならなくなってきています。

 深刻な少子高齢化社会が到来します。特に小松のような10万都市はもろに影響を受け、人口減少が極端に進むでしょう。その時に老人の世話は誰がするのでしょう。それは他ならぬ元気な老人がするしかないのではないかと思っています。

 今までの流れでいえば若い者が年寄りの面倒をみるというのが当然の考え方でしたが、その若者がほとんどいなくなれば、元気な老人が元気でない老人の面倒を見るというのが当然でしょう。

 その為にどうしなければならないか、都市計画的に考えてみればそれは、生きがいを持ち健康で知的な老人が育つ環境づくりを小松の都市計画の中に取り入れていく事です。

木場潟の整備により歩ける老人を作り出す、又同様に梯川の整備により、歩ける堤防を作り、歩ける元気な老人をつくる。その上その木場潟・梯川でコミュニケーションができる場をつくる。それに梯川の防災に対する関心を深めていく。そんな都市計画を取り込んでいけば、元気な年寄り、医療費のいらない地域経営を目指せるのではないでしょうか。元気で働き甲斐のある老人の為の施設の設置こそが、必要と思われます。

 老人が老人の面倒をみると発送を変えただけで色々なアイディアが出てきます。今は無い物ねだりではなく、あるものをどう生かしていくか、都市計画の中に取り込んでいくかが大きな勝負の分かれ目ではないかと思われます。頑張りましょう。

 元気な年寄り、健康で意欲を持った年寄りになろう。

          都市 研究家            

不動産 遊民 調 亮

不動産のお話しPARTⅦ

 大変暑い日が続きますが皆さん夏バテしないように頑張りましょう。

 前回は道路の縁石の件についてお話ししたのですが、大変反響も大きく皆様にも徐々に伝わったのかなと嬉しく思いました。

 都市計画の運営についても実に矛盾があります。基本的な矛盾は、この小松の都市計画を守っていったら何が出来上がるのか、どうなるのかを誰も全く理解していない、勉強していないということなのです。そしてこの都市計画は法律として施行されているので開発が厳しく規制、制限されるのです。

 今小松のような規模の都市は少子高齢化、人口の減少という恐怖が迫ってきています。なんとかして人口を増やそう、増えないまでも維持していこうという掛け声だけがかまびすしく叫ばれています。しかし現実を都市計画的にみると、人の住む場所が無く、人が働く場所の開発はほとんどできません。8号線に店舗を構えようとしても、都市計画における商業地域、近隣商業地域は皆無に近く、市街化調整区域が隣接し、ほとんど開発できなくなっています。人が集まり、人が働き、人が遊ぶという基本的なことが既存の施設を生かすしかないというお粗末さです。「人に来てもらおう」、「賑わいをつくろう」という掛け声だけでは町は絶対に活性化されません。実際に政策を具体化する方法といえば都市計画でしか出来ないのに、その都市計画に町を活性化させ、市民生活を豊かにする方策等が何一つという程盛り込まれていない為、逆に役所が町づくりを規制する側に立つという、変な状況に陥っています。

 それなのに誰もそれに気づかないというのはどういうことなのでしょう。今までは人口の自然増加により、経済が右肩上がりで無策でもよかったのですが、これからは有能か無能か、効果ある手段を打ったか打たないかの差は大きな差になると思います。今がそれを実行する最後のチャンスではないかと思われます。

 その実行は実に簡単なのです。都市計画の基本理念を小松市民の豊かさを求めるというところに置き、その為には具体的にどうするか、人が集まりやすい町、その為に働く場所づくり、そして人が楽しめる場所づくり、便利になる交通網の整備と掲げていけば具体的に8号線の整備、街中の古家の再生等々の具体策がどんどん出てきます。

 そのことに対する対策を緻密に具体的にできる都市計画に変えるべきです。全てを行政がするのではなく、行政と民間が一体化してやっていける都市計画こそが求められているのではないでしょうか。行政は民間を取り締まり抑制するのではなく、いかにしたら民間を活性化できるか、協調することこそが、今地域行政に求められているのではないでしょうか。これからの20年こそが小松の行方を決めると言っても過言ではないと思います。

まさしくドラスティックな都市計画の変更が必要です。そうドラスティックでもないのですが・・・?

都市 研究家            

不動産 遊民 調 亮

矛盾がいっぱい道路行政

 今の世の中矛盾がいっぱいです。

 今財政的に行詰まると言われながら、無駄の繰り返し、拡大する一方に感じられるのは私だけなのでしょうか。

 私は道路行政において道路のあるべき姿をこのサンサンコーナーで再三に話し続けてきました。しかし残念ながらこの長い年月の間にも制度は一向に改まる様子がありません。

それは道路縁石のことなのです。私の事務所の前は道路幅が狭い為に歩道と車道との間にブロックの縁石が無く、歩道との境はアスファルト(車道・黒)とブロックタイル(歩道・茶)とに色分けされているだけです。

平面ですから車の出し入れ、人の出入、雪かき等々便利この上もありません。そして大型の車が荷物の出し入れをするにも、半分ほど歩道にかけて止まる為に車道の行き来もスムーズ、歩道も歩くのに何の障害もなく事故も皆無という状況です。何の支障があるというのでしょうか。全く問題もなくそれどころか極めて快適な状況です。

 それに比べて市役所に突き当たる通りは歩道ができ、車道と歩道の間に段差があり、縁石ブロックで仕切られています。今高齢化社会に突入し色々な障害、段差を取り除く運動(バリアフリー)を進めています。この時代に道路に限ってわざわざ車の危険を取り除く為、障害をつけています。車の出入をさせにくく、人の出入は不自由でよく蹴躓き、私自身も蹴躓いて転んだことがあります。そして大型車が停車すると交差がしにくくなり、後ろに車が列を成すという状況が現出しています。家を建てる時はいちいちその縁石を移動しなければなりません。非常に迷惑ばかりかけるだけで肝心の交通事故に対しては平面の場合とほとんど変わらない、いや逆に交通事故の危険が増加すると思えるのに、そんなことに経費をかけてやり続けていくというのはどういう施策なのでしょう。

 旧市内、街中の道路にはブロックの見切りは必要ないのではないでしょうか。305号線とか幹線道路には逆に車が乗りあげることがないような仕掛けのブロックをすべきだと思うのですが・・・。

 このブロックを取り止めるには内規で決まっていて自由裁量でやめることが出来ない仕組みが役所の中でできているのかもしれません。そうとなれば役所の中の仕組みを見直し、それを正す仕組みこそが至急必要なのかもしれません。

 今役所の職員には市民サービスの営業マンとして活動してもらい、市民の意見を聞き、それを取りまとめて実行していく、そんなシステムづくりこそが必要だと思われます。そのことが費用の無駄遣い、無駄な動きを改革していくことにつながっていくと思います。

こんなシステムがこれから大切になるのではないでしょうか?

 小さな道路の改革でありますが、これを手始めに、改革に取り組もうではありませんか。

 不動産 遊民            

都市 研究家 調 亮

不動産のお話しNO.6

 場所とは一体何だろう?また自分の住む場所、居る場所はどこにあるのであろうか?

 ひどい人になると(これは男性に多いそうだが)自分の家に帰っても居る場所がないそうであります。それは実際にないのか、そう自分が思い込んで錯覚しているのかもしれませんが・・・。

 昔から男は、男子たる者裸一貫から自分の場所を築いていきなさいと言われてきました。先人の知恵というか、励ましだろうと思いますが。それほど「場所」というか「面積」というか「空間」というか、この地球上どこにでもあるようにも思われる、自分の立つ場所を確保している人は一体どれほどいるのでしょう。

 「この土地は俺のもんや」「これは法務局に俺の名義で登記してあるから俺のもんや」と言っていても、そうでない場合がたまにあります。この「俺のもんや」は、俺が支配しているから俺のもんや、いや支配するとはどういうことか?、使用収益することか?、ならばそれを支配することによって使用、収益出来るのか?ところが俺のもんやけど使用収益してない人の多いこと。

 ここで不動産屋さんの登場です。これがコンサルタントの対象となり、いかに使用収益すべきかを考えていかねばなりません。その為にはその場所が何に向いているか、いくらぐらいが妥当か等を常に考えていかねばなりません。単純に銀座の場所と小松の三日市の場所を比較してみると漠然とはわかるけれども、実際その差をハッキリと理解している人は少ないように思います。

 その差はその地域を作り上げている都市形成によってできています。その大きな差は人間の居住、活動との緊密さにあるのではないかと思います。自然、地球の規模から考えてみると面積空間において差は感じられないのですが、根本的に違うのは人口比ではないかと思います。

 今、品川駅では1日40万の人が通過しているそうです。金沢の全人口が1日で移動しているのです。その場所に店舗を構えるのと、小松の三日市に構えるのとではどう違うのか、それは商品の売れ行きが格段に違うと思います。しかし地価というか賃料は圧倒的に違うと思います。ではどちらの場所が良いのか単純に比較してみます。大量に販売する付加価値が大きいものは品川、一般に大量にさばけなくともゆっくりゆったりと適売していくには三日市が向いているのかもしれません。

 品川の方が良いのか小松の三日市の方が良いのか単純に結論を出すことはできないのです。なぜならそれはそこで何をするかにかかっているからです。

 いずれにせよ、その場所の差は歴然としているのです。今我々は有史以来の高齢化社会を迎えています。小松の人口が20年後に何人になるのか、人口比率で65歳以上が一家に何人になるのか、何人の人々が小松に住むことによって、今の場所が確保できるのか?我々は常に考えていかねばならないと思います。

 今は短期的な物事の見方ではなく、10年後20年後を見据えた場所づくりこそが求められていると思います。

 10年後、20年後に私達は存在しているのでしょうか?

不動産 遊民            

都市 研究家 調 亮

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