Home > サンサンコーナー

サンサンコーナー

矛盾がいっぱい道路行政

 今の世の中矛盾がいっぱいです。

 今財政的に行詰まると言われながら、無駄の繰り返し、拡大する一方に感じられるのは私だけなのでしょうか。

 私は道路行政において道路のあるべき姿をこのサンサンコーナーで再三に話し続けてきました。しかし残念ながらこの長い年月の間にも制度は一向に改まる様子がありません。

それは道路縁石のことなのです。私の事務所の前は道路幅が狭い為に歩道と車道との間にブロックの縁石が無く、歩道との境はアスファルト(車道・黒)とブロックタイル(歩道・茶)とに色分けされているだけです。

平面ですから車の出し入れ、人の出入、雪かき等々便利この上もありません。そして大型の車が荷物の出し入れをするにも、半分ほど歩道にかけて止まる為に車道の行き来もスムーズ、歩道も歩くのに何の障害もなく事故も皆無という状況です。何の支障があるというのでしょうか。全く問題もなくそれどころか極めて快適な状況です。

 それに比べて市役所に突き当たる通りは歩道ができ、車道と歩道の間に段差があり、縁石ブロックで仕切られています。今高齢化社会に突入し色々な障害、段差を取り除く運動(バリアフリー)を進めています。この時代に道路に限ってわざわざ車の危険を取り除く為、障害をつけています。車の出入をさせにくく、人の出入は不自由でよく蹴躓き、私自身も蹴躓いて転んだことがあります。そして大型車が停車すると交差がしにくくなり、後ろに車が列を成すという状況が現出しています。家を建てる時はいちいちその縁石を移動しなければなりません。非常に迷惑ばかりかけるだけで肝心の交通事故に対しては平面の場合とほとんど変わらない、いや逆に交通事故の危険が増加すると思えるのに、そんなことに経費をかけてやり続けていくというのはどういう施策なのでしょう。

 旧市内、街中の道路にはブロックの見切りは必要ないのではないでしょうか。305号線とか幹線道路には逆に車が乗りあげることがないような仕掛けのブロックをすべきだと思うのですが・・・。

 このブロックを取り止めるには内規で決まっていて自由裁量でやめることが出来ない仕組みが役所の中でできているのかもしれません。そうとなれば役所の中の仕組みを見直し、それを正す仕組みこそが至急必要なのかもしれません。

 今役所の職員には市民サービスの営業マンとして活動してもらい、市民の意見を聞き、それを取りまとめて実行していく、そんなシステムづくりこそが必要だと思われます。そのことが費用の無駄遣い、無駄な動きを改革していくことにつながっていくと思います。

こんなシステムがこれから大切になるのではないでしょうか?

 小さな道路の改革でありますが、これを手始めに、改革に取り組もうではありませんか。

 不動産 遊民            

都市 研究家 調 亮

不動産のお話しNO.6

 場所とは一体何だろう?また自分の住む場所、居る場所はどこにあるのであろうか?

 ひどい人になると(これは男性に多いそうだが)自分の家に帰っても居る場所がないそうであります。それは実際にないのか、そう自分が思い込んで錯覚しているのかもしれませんが・・・。

 昔から男は、男子たる者裸一貫から自分の場所を築いていきなさいと言われてきました。先人の知恵というか、励ましだろうと思いますが。それほど「場所」というか「面積」というか「空間」というか、この地球上どこにでもあるようにも思われる、自分の立つ場所を確保している人は一体どれほどいるのでしょう。

 「この土地は俺のもんや」「これは法務局に俺の名義で登記してあるから俺のもんや」と言っていても、そうでない場合がたまにあります。この「俺のもんや」は、俺が支配しているから俺のもんや、いや支配するとはどういうことか?、使用収益することか?、ならばそれを支配することによって使用、収益出来るのか?ところが俺のもんやけど使用収益してない人の多いこと。

 ここで不動産屋さんの登場です。これがコンサルタントの対象となり、いかに使用収益すべきかを考えていかねばなりません。その為にはその場所が何に向いているか、いくらぐらいが妥当か等を常に考えていかねばなりません。単純に銀座の場所と小松の三日市の場所を比較してみると漠然とはわかるけれども、実際その差をハッキリと理解している人は少ないように思います。

 その差はその地域を作り上げている都市形成によってできています。その大きな差は人間の居住、活動との緊密さにあるのではないかと思います。自然、地球の規模から考えてみると面積空間において差は感じられないのですが、根本的に違うのは人口比ではないかと思います。

 今、品川駅では1日40万の人が通過しているそうです。金沢の全人口が1日で移動しているのです。その場所に店舗を構えるのと、小松の三日市に構えるのとではどう違うのか、それは商品の売れ行きが格段に違うと思います。しかし地価というか賃料は圧倒的に違うと思います。ではどちらの場所が良いのか単純に比較してみます。大量に販売する付加価値が大きいものは品川、一般に大量にさばけなくともゆっくりゆったりと適売していくには三日市が向いているのかもしれません。

 品川の方が良いのか小松の三日市の方が良いのか単純に結論を出すことはできないのです。なぜならそれはそこで何をするかにかかっているからです。

 いずれにせよ、その場所の差は歴然としているのです。今我々は有史以来の高齢化社会を迎えています。小松の人口が20年後に何人になるのか、人口比率で65歳以上が一家に何人になるのか、何人の人々が小松に住むことによって、今の場所が確保できるのか?我々は常に考えていかねばならないと思います。

 今は短期的な物事の見方ではなく、10年後20年後を見据えた場所づくりこそが求められていると思います。

 10年後、20年後に私達は存在しているのでしょうか?

不動産 遊民            

都市 研究家 調 亮

不動産のお話No.5

 最近の不動産の価格の傾向を見ていると、多分誰も感じておられないだろうと思うのですが、長年不動産に携わった私としては経験上、どうしても腑に落ちない、気にかかることがあります。

 それは何かと申しますと、少子高齢化のこの時代、全国で800万戸以上の空き家が発生しているこの時期に、不動産が値上がりしているということなのです。その値上がりの最たるものが東京地区です。

 これは全国的に人口が減少していく中で、唯一東京だけが人口増加しているので当たり前の事なのですが、加えてオリンピックの誘致により東京自身が活性化し、不動産がバブルに近い程値上がりしているのです。

 この値上がりは東京オリンピックという一大イベントが終わった時、どのような動きをみせるのか、プロも読めない展開になるのではないかと思います。 いずれにしろ東京地区の一人勝ちは間違いないところだと思われます。

 ところが、それだけなら不思議ではないのですが、金沢等の不動産も値上がりして、今金沢地区の優良不動産はもちろん、ほとんどの不動産が売り手市場となり、売り物件がほとんど無いという状況が現出しているのです。

 これは皆さんにもすぐお分かりの事だと思いますが、北陸新幹線の影響だと思います。北陸新幹線の開通により東京金沢間が日帰り地域として成り立ち、リピーター客が金沢にあふれています。やはり人が集まって活性化してくると不動産は値上がりするものなのです。

 しかし、その個別性とは別に不思議に感じられる動き、各地方において収益物件の販売が盛んに行われ、都会特に東京等の人が地方の利廻り物件を求めて来られるケースが非常に増えたということなのです。

 今は投資ブームで不動産賃貸有利性を説いたセミナーが大はやりで、東京の高給サラリーマンがどんどん地方に投資してきているのです。東京の物件は2%とか3%の利廻りなのですが、地方でのそれは10%から12%なので投資し易い面があり、どんどん地方、特に県庁所在地等の物件が投資の対象になっているのです。これも「金持ち父さん貧乏父さん」の本の影響もあるのかもしれません。私も不動産を始めた時から投資物件に興味を持って30有余年投資してまいりましたが、2040年には人口減少が顕著になるというこの時期に地方の物件が売れ、不動産が値上がりしていっているという事実はいったいどういうことなのでしょう。

 でも私の読めない動き、例えば外国の人が日本に住み、日本の不動産を活性化させるという動きが出てくれば、不動産、特に収益物件というのは面白いのかもしれません。この20余年という短いようで長いような期間に投資をかけているのかもしれません。

 でもその頃には私等はもういないでしょうか・・・?

不動産 遊民      

都市 研究家 調 亮

不動産のお話 NO.4

 最近嬉しいことがありました。小松大和跡地にビルが完成し、小松大学が開校しホテルがオープンしました。そしてなにより1階にBOOKカフェ「プロント」がオープンしたことです。

 このプロントは図書館とレストラン喫茶が併設され、今までの小松になかったようなコンセプトで作られている為、なんとなく都会的な又よく言えば自由な空間ができ、コーヒー1杯がレギュラーで240円と割安で、若い店員が気持ちのいい笑顔とキビキビした態度で接客してくれます。聞けばプロントは全国チェーンの店舗らしく、垢抜けた都会風な雰囲気を我々に提供してくれます。

 他人の眼なんか一切気にしないで一人でコーヒーを飲みながらユッタリと読書する、大通りを通る人をボンヤリ眺める、喫茶店内は意外と私の知り合いの小松人が少なく、小松大学関係者、教授、職員、大学入学予定者等の県外から来たように思われる若者達がコーヒーを飲みながら、またパスタを食べながら、パソコンをしている姿は今までの小松になかった雰囲気を醸し出しています。

 私もここが大好きでコーヒーを飲みに行き、読書をしてユッタリとした時間を過ごしています。

 あの空間は大ヒット、その上公立大学が開校された為に若者が小松に定住するという人口増に繋がりました。意外と県外からの学生も多く、市内のアパートはあっという間に一杯になり喜ばしい限りです。これは和田市政大当たりだと思います。

 しかしこの事業は一時的なものではダメです。大変な努力が必要と思いますが、永続させなければなりません。住んで楽しい小松、学んで楽しい小松、定住したくなるような町小松づくりこそがこれから必要です。

 大学経営は少子化の影響で非常に難しくなってきています。子供たちの大都会志向に対抗していくことは並大抵の努力では経営していけないと思われます。今これで終わったのではなく、「これからの小松町づくりが始まったとみるべきです。我々小松人は官民を挙げて県外の人々を小松に呼び寄せる町づくりこそが今求められていると思います。

 今大学によって一点の風穴が開けられました。この風穴を大きく広げていく町づくり、その為の組織づくり、都市計画等の法的整備こそが喫緊の課題であると思います。

 今の小松の都市計画は県外から移住してくるのに優しいとは決して思えません。みんな市民は人口を増やさねばと思っています。しかし、仕事場を作ること、住む場所を提供することに対して、実に難しく、思いとは逆に人が入れない、来ないようにしているとしか考えられない施策がなされているように感じられるのは私だけなのでしょうか?

 古い矛盾のある都市計画を破棄して、もっともっと新しい都市計画を策定することが必要になってきていると思います。

 今、駅前に大学をつくるという単独の施策等ではなく、全体を見据え、大きな広がりへと進めていくには全体を眺める都市計画こそが今求められているのだと思います。規制の緩和こそが今必要だと思います。

 プロントは本当によかった!!

不動産 遊民            

都市 研究家 調 亮

不動産のお話し No.3

 前回、不動産はどんどん劣化していくというお話をしました。

 人間の寿命はどんどん延びて、今や平均寿命は男性で80才、女性では88才です。これが健康寿命(健康年齢)となりますと71.4才となり9才程下がりますが、この健康年齢こそが物を正常に使用できる年齢という事になると思います。

 今私達日本人は大多数が木造住宅に住んでいます。この住宅の実耐用年数は20年~30年と言われています。これを単純に人間の寿命と比較してみますと、ひとりの人間が一生の内で2軒か3軒の家を所有していかねばならないという事になるのです。せめて人間ひとりの一生を網羅できるような、耐用年数80年以上の住宅というものの追求こそが今求められているのではないかと思います。大家族制が崩壊した現代においては、やはり100年住宅というものがこれから求め続けられるのではないかと思います。

 その100年を保ち、住み続けられる街、環境が整った地域づくりこそが私達不動産業界が提案していかねばならない事だと思います。

 今日本の地域が100年持つのか?住まいが100年持つのか?自然環境としての環境、人工的な環境として100年維持できるのか、維持できるような地域づくりこそが喫緊の問題ではないかと思います。

 今の街づくり、都市計画は本当にデタラメで、もっと計画的な街づくりが必要と思われるのに、全く地元に住む人が意識していないというか気付いていない状況です。その必要性が全く意識されていません。100年後の小松地区が目指すものは一体何なのでしょう。今私達小松市民は100年後の小松をどうイメージしているのでしょう。成り行き任せにしてやるのも一つの進む方向かもしれませんが、小松のような零細都市は差別化してひとつ目標を設定し、集中した街づくりをする事こそが必要なのではないかと思います。

 小松市には大きな梯川が流れ、木場潟という湖があります。私達人間は水というものに郷愁を感じ、近寄っていく性行があるようです。この水の流れを都市計画に取り入れ、小松市民の生活スタイルに取り入れる事が大切ではないかと思います。今木場潟周辺を歩く市民の多いこと、これは小松市民を健康にし、元気な小松市民をつくっていくと思われます。この事から梯川周辺を散策する習慣をつくるような梯川整備こそが都市計画に盛り込まれるべきだと思います。

 今私達小松人は歩く習慣、車離れの習慣を身に付け、「歩く街小松」を都市計画の中に盛り込み、健康な市民づくりこそが未来の都市計画に必要ではないかと思います。

 今の少子高齢化社会において、元気な老人、健康な市民づくりこそが今一番街づくりに求められるのではないかと思います。

 歩く街、自転車で走り回る街づくりをしましょう。

不動産 遊民    

都市 研究家 調 亮

不動産のおはなし No.2

 高齢化が重大な社会問題となってきている今日この頃です。人は必ず老いて死ぬという事は誰しも知っている事ですが、殆どの人が老齢化、死というものに恐怖感を抱いています。それは、若い時にはできた事ができなくなり、記憶力も衰えて物覚えも悪く、昔記憶できていた筈の事ばかりでなく、今あった事ですら忘れてしまうという状況で、人はその事に恐れを抱いています。そうなると、自分の身体がどんどん老化、劣化していく事に不安感を隠せません。

 しかし老化劣化していくのは人間の身体だけではなく、不動産もまさにそうなのです。否、あらゆる物、建物、道路、橋等々ばかりか、組織化された社会ですら老化劣化していってしまいす。

 何でも新しく造った当初は美しくて快適なのですが、年月の経過により劣化する事は避けられない現実です。しかし人は、この年月の劣化、歳をとるという事に実に鈍感になっているように思うのは私だけなのでしょうか?今、高速道路が日本中に張り巡らされて非常に便利です。どこへ行くのも不自由なくいける訳ですが、この高速道路は必ず老化劣化します。この老化劣化に対し、常々修理していかねばなりません。修理を放置しておくと耐用年数が短くなり、すぐに造り替えが必要となります。それぞれに個別性はあると思うのですが、一般的に新しく造る時より、造り替えの時の方がコストがかかります。今現在あるものを使いながら壊し、また新しく建設しなければなりませんから。経費は新築時の比ではなく、数倍かかると思われます。これを予算化しているのでしょうか?

 以前は高速道路は30年ぐらい経過したら、料金は無料化すると言われていました。今はとてもとても・・・。反対に値上げしないとやっていけない状況のようです。

 今の日本社会は、この高速道路のようにどんどん建設され、それがどんどん古くなってきています。これからいろいろな故障が続出してくるでしょう。その時の対応は大丈夫なのでしょうか?

 今や不動産もいろいろな住宅が新築されています。この住宅は木造で20年ぐらいの耐用年数と言われています。住宅の空き家が日本中で800万棟と言われ、これからの少子高齢化社会においてどんどん社会が変化していく中で、一番鈍感なのが官庁だと思います。何故なら未だに抑制政策を取り続けているからです。今後社会的責任を負わねばならない官庁が、法律の未整備による責任逃れを繰り返しているうちに日本の国力がどんどん衰退していくのが目に見えるようです。

 今、日本社会はドラスティックに変化収縮しようとしています。こんな中で、社会の考え方、見方を変えていかないと社会がどんなになるかと心配です。今こそ国民の意識をバブル型、右肩上がり型から、右肩下がり、経済成長率を収縮型に切り替えていかなければ大変な事になると思います。

 これからの社会は物の考え方から全てを変えていかないと壊れてしまいますよ。全く今迄の考え方から逆の発想が必要とされてくるのです。

都市研究家・不動産遊民 調 亮

戊(つちのえ)戌(いぬ)年です

私は六巡り目の年男です

戊戌の年は勢いが増す変わり目で 新しい進化の動きが生まれる年と言われています

マンネリ化を避け 守るべきものは守り 諸々の変化に対応できるよう 柔軟な頭脳と素早い対応を心がけます

 今世界は宗教戦争・経済戦争が激しく 我が日本もその荒波を避けようもなく 巻き込まれようとしています

 しかし地球環境はそんなこととは関係なくどんどん悪化していっています 私達は世界に先駆け環境を整えるべく都市のあるべき姿を追求活動していかねばと思っています

 私は微力ながら不動産遊民・都市計画家として街づくり 都市づくりに邁進していきたいと思います

 街づくりは人づくり 地域づくりです 

社員一同地域と共に育つ事を目標に活動したいと思います 

本年もご愛顧の程宜しくお願い申し上げます

 

国政選挙を終えて雑感

 選挙もようやく終わり、街にも静けさが戻ってきたというのは大げさに感じられる程静かな選挙でした。そして争点も政党の主張もあまり違いが無く、とにかくだらけた選挙であったというのが私の印象です。

 現実の政策路線からかけ離れた事を主張している政党が生き残っている現実を見ても日本は平和な良い国だなあと感じます。

 期間中、立候補者の名前を連呼するだけの選挙カー、外国人から見たら異様に見えるらしいのですが、未だに改善できません。候補者が改善の能力がないのか国民の程度が低いのか?とにかく私にはよく分かりません。あれで候補者の良し悪しを判定できるとしたら余程の天才か?はたまたいい加減なのか?としか言いようがないです。この状況を延々と何十年も続けてきている現状を見ると、もういい加減にせいー!と思っているのは私だけなのでしょうか?

 あんな事も改善できなくて、行政改革、憲法改正等の大問題を解決する能力があるのでしょうか。私達は選挙運動一つ見てもひどい人を選んでいるのではないかと心配です。

 国民の代表としてどんな人材が求められるのか?まず、地域の状況をよくつかみ、法律をよく知りながら世の中を改善するようにそれを改正し、世界の情勢を知り、世界の動きに対応できる日本とする為にどうすべきかを考えられる人。国民の意識を、他国に守ってもらうのではなく自国民で如何に守っていく気概を持つ国にする為にどうすべきか常に考えていく王道を極めていく人。そんな人を選びたいのですが、もうさっぱり分からない。そんな人が今の日本人にいるの?と思えるぐらい人材不足なのか、いや潜在能力を持った人が実はいっぱいいるのか?

 期待だけが大きく膨らんでいますが、国会に質疑答弁を聞いた途端こんな人を選んだのかとガッカリする、こんな繰り返しをいつまで続ければ良いのでしょうか。

やっぱり選挙制度の改正しかないのか?

でも今の選挙で当選した人たちで改正できるのかと考えるだけでも鬱陶しくなります。

 今日本国内は非常に景気が良いと個人的には思います。この景気を持続させていく為にはせめて政策的後押しが必要です。これこそが今政治がしなければならない喫緊の課題です。

 その上日本国外の事情は非常にきな臭くなってきています。そんな中で年寄りばかりの日本に軍隊を持つと言っても60才代の軍、70才代の軍、考えただけでも楽しい?若い年代の軍隊なんて作れるの?と考えただけでも楽しい?状況がいっぱい目白押しです。そんな中で自民党が圧勝して、今正常な方向に軌道修正するチャンスがきたのかもしれません?

基本的にあるべき姿に戻すチャンスなのかもしれません。いつまでも敗戦のショックを背負っているだけでなく、日本国民として誇りの持てる日本を築きましょう。

それにしても、何もしなくてただ議論しているだけ、他人の揚げ足を取るような国会運営でやっていける日本は、今幸せの絶頂なのかもしれません・・・?!

都市研究科・不動産遊民 調亮

民主政体について

 今、世界では民主主義による政体が最も優れたものという事で、ほとんどの国で行われています。また民主体制でない国でも理想とし目指しているのが現状です。                  

 民意による選挙は地方の首長選では1票でも相手を上回れば勝ち、国では上から順に得票の多い方が当選となり、投票率がどんなに低くても、極端な話50%を大きく割り込む投票率でもその選挙は有効となります。投票率30%台で民意を反映しているのかとなると疑問符をつけざるを得ません。

 この民主政体はBC5世紀にアテネで始まったと言われています。その時頃のアテネの人口は5~6万人といわれ直接投票でした。

 この頃の民主主義による政体は意見が色々と分かれ、その考え方の元、いくつかの派閥に分かれているのは、今の国会と同じ状態が生じているのです。既に2500年前に同じ状態が生じていたのです。

 という事は、議会制民主主義であろうと、直接民主主義であろうと意見の違い、考え方の違い、哲学の違いを議論によりすり合わせるという事は、今の国会を見ていると至難の業であると思わざるを得ません。もっともっと民意というものが円熟してこなければ本当の議論を深めることはできないと思います。

 これは民主主義発生の地ギリシャのアテネにおいてBC450年頃から同じ悩みがあったらしく、人間の性は古代より変わらないものだなとつくづく感じます。

 あまり人数が多くなって各人の意見が出だすと、自分の意見に固執し、収集がつかなくなり、大衆の意見に迎合してしまい、結果的に衆愚政治に堕してしまうという結果になっているようです。

 今、世界各国を見廻しても過半数以上の議席を確保している政権はほとんどなく、中国等の共産国家か独裁国家が一党独裁している以外はほとんど連立をしていかないと政治ができないという状況で、その状況は増々強まっているように思われます。

 それは何故か?それは人は個人個人、一人一人の意見が一つの事に対しても全く違うことが多いからです。まず育った環境によって違うし、その人の利害によっても違う、また、この利害の違いは曲者で、相手の意見には賛成だが、利害が相反するという事になると全く反対になってしまう。例えば、行政改革の1つで議員の削減を取り上げても、まずほとんどの議員が反対し、国民の90%以上の人が議員はあんなにたくさん必要ないと思っているにもかかわらず、削減できないという現実があるわけです。

 行政改革という改革には常に利害が絡んでくるわけです。この利害は意見の対立を生み、これに民主政体が絡み、複雑になっているわけです。

 先日、実に解り易い選挙というか、国民投票がある国で行われました。それはEU継続か、離脱かという国民投票でした。結局EU離脱派が勝利したわけですが、国民投票のわずか数%、離脱派が上回ったからといって半数に近い人々が継続を希望しているのに、その政策はドラスティックに変更されています。

この政策論争も、国民投票に頼るというやり方自体にも、私は民主主義の限界というか行き詰まりを感じますが、この問題はまたの機会に述べることにし、民主主義の本論に入っていくことにします。次号に続く。

都市研究家・不動産遊民

調 亮

少子高齢化 PART Ⅳ

 この8月に私も71歳になりました。まさか私がこんな歳になるなんて思いもしませんでした。私のまわりはほとんど定年退職して、年金生活者ばかりになってきました。前回にも言ってきているように、今ある資源(年寄)をうまく使える社会システムを作っていくべきだという主張は、これから重要度を増してくると信じています。

 その為には社会システムの構築もさりながら、老齢者本人の資質の改善、能力の開発、健康な体の維持etcが求められ、そしてその人の能力を冷静に見極める力量が社会に求められてきています。しかしこの力量を見極める能力というのは非常に難しく、一律に年齢が来れば定年、リタイアメントという形で、社会から葬り去ってしまっているのが現状です。この力量をはかるという能力で気になることがあります。

 私は高校大学を卒業して、もう50年近く経過しているにも関わらず、どこの高校を卒業してどこの大学を出たかという事がいまだに評価の対象になっているように思います。まして、東大なんか卒業していると世の人々は尊敬のまなざしで人を評価します。その上、上級官僚にでもなっていれば、一般人は皆評価して講演依頼をして喜んで拝聴しています。私もこの手の人の講話をよく拝聴していますが、あまりレベルの高いものはありません。特に政治家の話、元官僚の話等は実にレベルが低く聞くに堪えないものが多々あります。

 これは、社会が学歴とか職歴とかによってのみ人を評価する風潮が大勢を占めて、その人の力量を冷静に見極める能力が不足していることの証しではないかと思います。

 今は、社会システムがある程度出来上がってしまい、組織が硬直化し、人事が硬直化し、情実的になり、たいした能力が無くてもやっていける平和な時代なのです。でもこんな平和な時代はいつまでも続くはずがないのです。もうこの少子高齢化社会そのものが社会の大変革を起こすのです。そして今この変革に対する硬直した官僚機構で対応できるのかというのは、この官僚が作り上げた規制≪規制は日本の国をまさにダメにしていくと思われるのですが≫に対して何の対策もせずに、今さえ、自分さえ良ければいいという官僚天国に胡坐をかいたままでは世界から取り残されてしまうのではないか、と危惧しているのは私だけでしょうか?その元凶は東大卒のエリートによって運営されているのです。もう中央政府にはいつくばる卑屈な心を捨て去り、自分で考え、自分で判断する独立した考えを一人一人が持ってもよいのではないかと思うのですが。そしてやはり原点に戻り、元気な高齢者をうまく使い、子供を作って育てる環境づくりこそが喫緊の問題ではないかと思います。

 もっともっと本質・本物を見極めていく力量を我々は身につけましょう。

               調 亮

ページの先頭へ